バレンタインでい …晴明の場合
今年もバレンタインの日がやってきた。街はチョコを求める女性たちであふれかえっている。
そんな街の通りを背の高い美貌の男が一人歩いていた。濃いサングラスにその美しい切れ長の瞳を隠してはいるが、それでもすれ違う女性たちがはっとして振り向く。
稀名アキラこと、蘇った古の陰陽師、安倍晴明である。
なぜ、彼がこんなところを一人で歩いているのか。
「まったく。街中がチョコの甘いにおいでいっぱいだな。」
つんとした鼻をわずかにヒクリとさせて晴明は呟いた。
「ま、去年はあいつがくれたからな。」
これも恋人のため、と晴明は少し肩をすくめた。
だが、彼の行く先はデパートなどではなかった。暗い路地裏に入ってゆく晴明。とても愛の告白のバレンタインチョコを売っているとは思えない寂れた小さな店の戸口をくぐった。
薄暗い埃っぽい店の中。いったいいつからそこにおかれてあるのかもわからぬほどの古ぼけた種々雑多なものがおかれた店内、チョコレートなどとは到底無縁な店のようである。
だが、晴明はそんなことは先刻承知のようで、ガラクタには目もくれず店の奥に向かって声をかけた。
「だれか、いるか?」
晴明の問いかけに店の奥のほうでゴソゴソと物音がした。
まるで並べられた骨董かと見まごうばかりのしわだらけの老婆がのっそりと物陰から立ち上がる。
「はいよ…いらっしゃい…いったい何をお探しかね?お客様…」
よたよたと晴明のそばへと寄ってくる。
「ああ。ちょっと探し物をね。」
「ほう、探し物?よかったねえ、お客様、ここにはあなたの望むものすべて揃うよ。」
そういって老婆は、曲がって干からびた枝のような指で店の中をぐるりと指し示す。
「憎い相手をこの世から消すための呪いの人型から、命を永らえさせる若返りの薬まで、何だってご用意しましょうぞ…。」
「そんなものはいらない。いくつか薬草を手に入れたいだけだ。」
「薬草だって…?いまどき、そんなものをほしがるとは変わったお人じゃの。」
近くによって来た老婆がそう言いながら、しわだらけの手を晴明のスーツに伸ばした。
「ああ、どこにでも売っているという時代ではないな。だから確実に手に入るここに来たのさ。おっと、それから、俺にべたべた触るのはやめてくれよ、馬腹(ばふく)。」
晴明にあと少しで触れようとしていた老婆の手がピタリと止まった。
「なぜ…その名を…」
老婆の目がカッと開いて晴明を見上げた。
「それは…俺だからさ」
そう言って晴明はサングラスをはずした。
「お、おまえ…まさか…晴明…?」
老婆の目がさっきよりもさらに大きく見開かれた。
「ほう、覚えていたか。もしかしたら忘れてしまっているのではないかと思っていたが。」」
にやりと笑う晴明。
「お、おまえみたいなおっかない陰陽師、忘れるものか。それにしてもおまえ、もうとっくにこの世から消えてしまったはずじゃ…」
「色々とあってな。」
「なんてこった…。、まさか、またおまえさんと面付き合わせる日がくるなんて思ってもみなかったぞ。」
そういって馬腹と呼ばれた老婆が本当の姿に変化した。顔は人、体は虎の人面獣である。長い尻尾を晴明に向かってゆっくりと振った。
「おまけに若返っておる…。さては転生したか?」
「ま、そういうことだ。長く生きてると不思議なことにも合うものだよ、馬腹。」
すぐ横に置かれた古ぼけた椅子の表をさっと手で払うと晴明はそこに腰掛けた。
「お前が人を相手に商売してるというのもそうだろう?それも不思議なことのひとつだ。おまけに、なかなかいい店じゃないか。」
「おまえにそういわれると背中の毛が逆立つような気がするな…。」
背筋をぶるっと震わせて馬腹が言った。
「儲かっているか?」
「ぼちぼちさ。この店を見つけられるやつなんてそんなにはいないからな。ここは人がどうしても私の力を借りたいときにだけ見つけられる次元の違う店だからな。」
「人の願いをかなえて代わりに命でも削らせてもらうのか?」
ひょいと飛び乗った棚の上で、その体をまるで大きな猫のようにくつろがせる馬腹だったが、晴明の問いかけに少しばかり不機嫌そうに答えた。
「それでもいいと人間が言うのだ、少し位寿命を削ったとしても悪いことをしているつもりなどない。ギブアンドテイクってやつさ。」
「おまえがそのような言葉を使うとはな、時代も変わったものだ。それならば私の出張るところではないな。」
低く笑う晴明。
「で、お前さんはどんな薬草をお探しだ?それも命と引き換えかい?」
「まさか。俺がほしいのはほんの一掴みのありふれた薬草だけだよ。命はやれないが代わりにこいつをやろう。ほら。」
そういって晴明がふところから出した物を見て馬腹の目つきが変わった。
「博雅。ちょっと。」
晴明が戸口に立って博雅を呼んだ。
「ん?なんだ?」
にこにこと笑って博雅がやってきた。ネギをしょってないのが不思議なくらいだ。
「今日は何の日か知ってるか?」
「今日?」
晴明の問いかけに博雅は少し首をかしげたがすぐに何の日だったか思い出した。
「わかった、バレンタインだ。…ていうことはもしかして俺からのチョコを待ってたのか、晴明?」
博雅は少し戸惑ってしまった。まさか晴明がチョコをもらえると待っていたなんて、思ってもいなかったのだ。
そりゃあ、去年はあげたけれど…。
あれだって改めて渡したというほどの物でもなくって、ほんの思いつきみたいなものだったし。
…おまけにそのすぐ後、廊下で押し倒されて、ついには寝室に連れ込まれ朝まで離してもらえなかった。
昨年の出来事が走馬灯のように博雅の脳裏をよぎった。
「す、すまん、晴明。…その今年は何にも…その用意してないんだ…、ごめん!」
思わずがばっと頭を下げて博雅は謝った。
が。
晴明は優しげな笑みを浮かべて博雅の顔を上げさせた。
「馬鹿だな。なんでお前が謝るんだ?なにもお前からとは限らないじゃないか。…だろ?」
「う、うん…た、確かにそうだけど…でも…」
またしてもごめんと言いかけた博雅を制して晴明その目の前に高級そうな包みを差し出した。
「こ、これは…?」
「俺からのバレンタインチョコだ。」
「え?」
真紅の包みに焦げ茶色のシックなリボンが上品にかかっていた。
「お、おまえが…??」
バレンタインなんて言葉などハナから一蹴りしそうな晴明のすることとは到底信じられなかったが、博雅の目にうるうると涙の粒が盛り上がった。
「なんだ、博雅、泣いてるのか?」
晴明がその目を覗き込む。
「な、泣いてなんかいない…ちょっと目にごみが入っただけだ。」
ぐすっと鼻をすすり上げて博雅はにっこりと笑った。
「そうか、ま、後で泣いてもらうからいいとして…それよりどうだ、ひとつ食べてみては?」
「は?今なんか言ったか?」
「ああ、ひとつ食べてみろってな。ほら。」
晴明は包み紙を開くとかっちりした箱の中に整然と並んだ粒チョコレートを博雅に勧めた。そのひとつにいわれるままに手を伸ばしながら博雅は首をかしげた。
「いや、そうじゃなくってその前になにか言わなかったか?」
「い〜や、何にも。空耳だろ。」
そういってチョコを口に放り込む博雅をうれしげに見つめる晴明。
…なんだかとっても怪しげである。
その数刻後…。
「せ、晴明…謀ったな…」
額に汗を滲ませて博雅は晴明をにらんだ。
「ふふ…陰陽師を甘くみちゃいけないよ、博雅くん」
ほのかな灯りを受けて晴明はにっと口の端だけで笑った。
「ど、どうして…く、くれようか…晴明…っ!」
シーツをぎゅっと握り締めたその背がふるふると小刻みに震えている。
「どうしてほしい…?」
うつぶせたその背中を晴明の指がつつっ…と撫で上げた。
「う…っ!や、やめ…あ…っ…」
ビクンっ!と跳ねる博雅の体。
「ほんとにおまえってば身体まで素直だなあ。媚薬の効くこと効くこと…」
そう言って晴明は悪魔のごとくに微笑み、うつぶせた博雅の耳元に甘い声で囁く。
「び…媚薬…お、おぬし…っ…!」
怒ると昔の言葉に戻ってしまう博雅ではあったがその声は上ずり掠れてまったく力がない。
「晴明め。あいつが媚薬に使う薬草をほしがるなんてな…。ま、私の知ったこっちゃないが…それにしても…こいつはいい…うひひ…」
そういって馬腹は人から見ればただの枯れ枝にしか見えないものにその虎のごとき身体を擦り付けた。
「まったくいい匂いだあ…たまらんのう…」
ごろごろとのどを盛大にならしてうっとりとした顔をした。
「極上のマタタビじゃあ…」
どうやら晴明、マタタビと引き換えに馬腹から媚薬をせしめて博雅に渡すチョコに一服盛ったようである。
古の陰陽師がバレンタインに素直にチョコなど送るはずもないのであった…。
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